ホームページ制作で新生活
資料となった書物は数多くの人々の視線を引き受けるものとなったことも、見逃せない影響力であろう。
その過程で、錬金術や教会の造本のような「秘技」が背負っていた「崇高さ」を解放し、欲望を表現し想像力を行使する「方法」となった。
秘技はより多様な世界を作りだし実感することのできる「技術」となったのだ。
資料の中で視覚化されて集団となったRゴスは、人々の多様な想像力を引き出す力となる。
Vレリーが言うように、「印刷技術も1個の立派な芸術となりうる」のである。
本や雑誌など僕たちのまわりにある資料は、もっとも僕たちが身近に感じることのできる知の秩序である。
資料を集積し確実に精神との対話をもたらす典型的な現場が、図書館という空間ということになろう。
古代アレキサンドリア図書館以来、図書館は間違いなく知のA・Kテクチヤにこだわり続けてきた。
図書館は、「約束された秩序」を手にしようとする人々の素朴な欲望の表れでもあるわけだ。
その時代ごとの知のあり方を丹念に拾い集め組み立ててきた秩序が、図書館という空間なのだ。
もちろん、書物が集約された図書館という空間は、単に書物の貯蔵庫ではない。
書物におおわれた深い森は、恐ろしく濃密で、決して変化を起こすことのない闇である。
閲覧室の天窓から舞い降りた学芸の女神ミューズは書物に柔らかな光を与えると同時に、書物と対話する者に「読む行為」を確立する。
どこにも着地できない天窓からの光は、学芸の女神が舞い降りて振りまく知の粒子である。
知の粒子としての光は、天井までの背丈に伸びた書棚の間を柔らかな波動で満たす。
そんな光の中へ書物たちの鼓動と書物という物質の持つ輪郭が柔らかく溶けこんでいく。
「読む行為」を確立しようとする者にとって、光は生命線なのだ。
光で演出された「約束された秩序」としての図書館という空間は、まさにルネサンス以降に確立した「絵画的思考」そのものである。
「絵画的思考」、すなわち絵画について思考することが、遠近法という絵画の方法によって確立したことは多分疑う余地はないだろう。
遠近法が自然を絵画という秩序として表現しようとする欲望の表れであったとすれば、近代科学という「真理の発見」も自然を知識という秩序として表現しようとする欲望の表れであると言えるであろう。
学芸の女神ミューズとの対話を望む人々は、時代を超えて、図書館の内部空問に身を委ねようとしてきた。
「約束された秩序」としての図書館には、「絵画」や「知識」のような「約束された秩序」が「書物」という触れることのできる形態で記憶されているからである。
17世紀にかけてのヨーロッパは、印刷技術というテクノロジーを基盤として近代科学を誕生させると同時に、近代的なコミュニケーションを定着させるに至る。
もちろん、印刷された資料は、重要な役割を担うようになっていた。
印刷技術や近代科学をもたらした知のA・Kテクチヤという観点からすれば、よく指摘されるように、近代社会は巨大な工場と見なすことができる。
近代の社会は、科学や技術に大きな資本が投入され、その専門化と複雑化が進行し、巨大な工場となったのである。
そんな複雑な構造をもつ工場をうまく操業していく上では、「専門家」の存在が必然的に重要性を帯びてくることになる。
知のA・Kテクチヤに関するアイディアを評価し、近代社会に導入していく人々。
専門家である。
専門家のアイディアと実践が、近代社会という工場を維持あるいは拡大していく上で重要な役割を果たすようになったのである。
次第にそうした専門家たち自身も、政治的な役割を自覚するようになっていく。
そうした政治へ積極的に参加しようとする専門家をテクノクラートと呼び、政治経済の多くの局面を専門家に委ねる政治手法をテクノクラシーと呼ぶようになった。
テクノクラートによって支えられる近代社会では、知のA・Kテクチヤという欲望の表現や想像力の行使もテクノクラシーの対象であると考えられるようになる。
科学的な共同体によって知識として抽象化された信念は、さらに機械のように操作可能な対象として考えられるようになっていったのである。
近代産業社会を大きく支える機械がそうであったように、知のA・Kテクチヤも専門家のアイディアと実践によって高度に合理化されていき、知識やテクノロジーはもとより、僕たちが日常的に抱いている信念でさえ、社会的な組織や制度の仕組み(パターン)に組み込まれていった。
そうしたパターンの組み合わせで構成されている僕たちの日常的な感覚を、Gレゴリー・Bイトソンはうまい具合に「統覚習慣のネットワーク」と呼んでいる。
事象の流れと経験する人間との間には常に、言語や芸術や科学技術などの文化的装置が介在している。
それらの媒体は、あらゆる地点で統覚習慣のネットワークによって構造づけられているのである。
今や僕たちの日常は、「統覚習慣のネットワーク」を余儀なくされている。
電話を通じた会話や金融機関の情報システムなどと僕たちの日常生活との関係を考えてみれば、情報通信メディアを介した「統覚習慣のネットワーク」は、僕たちが社会に参加する上での窓口となっていることに気づくだろう。
もちろん、統覚習慣のネットワークは、情報通信技術が誕生する以前から、テクネーやアートの歴史と密接に連動してきた。
錬金術も、教会での造本も、自然を描写しようとする絵画も、近代科学も、いわゆるテクノロジーも、「約束された秩序」を手にしようとする素朴な欲望がその起源となっている。
いわば、「統覚習慣のネットワーク」という「約束された秩序」が、その時代の社会であり、文化であるとも言えるのである。
僕は本書で情報通信メディアについて語ろうとしている。
もちろん、その情報通信メディアはある日忽然と出現したものではない。
情報通信メディアもテクノロジーの産物なのだから、「約束された秩序」を手にしようとする素朴な欲望が起源となっているはずである。
「約束された秩序」がどのように変容してきたかということを忘れて、僕たちは「メディアの将来像」について、ついおしゃべりを続けている。
明るい未来についておしゃべりすることは楽しい。
そんな楽しいおしゃべりを続けていると、歴史が邪魔に思えてくることも少なくない。
ただ、Iカにも乱暴なことだと思う。
そこで、僕は、現在の情報通信メディアの問題について考える前に、図書館に記憶されている「約束された秩序」の歴史について解読しようと思っている。
その解読は、現在僕たちが親しんでいる「ソフトウェア」という考え方の歴史的な成り立ちについて思考することでもある。
現在のコンピュータ技術も、もちろん「約束された秩序」を手にしようとするテクノロジーである。
人工知能も、マルチメディアも、ニューロコンピューテイングも、電話や放送などの通信技術も、簡単に言うと、より理想的な「約束された秩序」をめざすテクノロジーなのである。
とりわけ、情報通信メディアの誕生とその進化は近代運動(モダニズム)と密接に関係していると僕は思っている。
その密接な関係を、図書館という空間は記憶しているはずである。
「専門家」や「テクノクラート」のアイディアを吸収しながら、近代図書館という「約束された秩序」は、その容貌を一変させていった。
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